破綻の美学ー中村哲也「レプリカ カスタム」

村田真(美術ジャーナリスト)

新作「レプリカ カスタム」について述べる前に、前作「レプリカ」について触れておかなければならない。「レプリカ」とは、昨年、ゼクセルのZOOMで発表された作品名である。ジェット機の外観を持つこの作品は、「世界最速」の形態としてデザインされている。もちろん実際に飛ぶはずもないし,工学的にも無根拠なデザインであり、いってみれば「はったり」の「見かけ倒し」にすぎない。だが、このデザインは、だれが見ても「いかにも速そう」と思わせる点で、「世界最速」のもっともオーソドックスな「標準型」といっていい。

「レプリカ カスタム」はその改良型、つまり「レプリカ」シリーズ第2弾である。前作と比べれば、エンジン(に相当する部分)が一つ減り、翼が縮んでヒレ状になり、先端の下部が地をはうスタイルに変わっている。要するにこれは、空を飛ぶのではなく地上を走ることを想定したデザインなのだ。といっても実際に走るわけではないので、そんな違いは大したことではない。注意深く見れば、もっと重要な違いに気づくはずだ。先端両脇に施されたレリーフ状の装飾である。

中村は「レプリカ」の制作後、暴走族が好んで用いる装飾「ファイアーパターン」を作品化した。それからというもの、まるでお祭りの山車のように飾り立てられたバイクとか、ボディーにヒレみたいなものをくっつけたワゴン車などに関心を寄せるようになったという。こうした改造車の過剰な装飾は、見る者を威嚇するという以外、機能的に無意味であるばかりか、道交法にも違反する。つまり走りづらいだけでなく、走ってはいけないものなのだ。だからこれらは走る目的ではなく、初めから見せるためにつくられた「見かけ倒し」のデザインなのである。中村がハマったのも無理はない。

ここでもう一度繰り返すが、最初から飛んだり走ったりする機能を放棄している「レプリカ」シリーズのポイントは、「いかにも速そう」だと思わせることである。しかしいうまでもなく、「いかにも速そう」なイメージというのは普遍的なものではない。たとえば、かつての丸っこい有機的な形態をしたサンダーバードと、現在の直線的な幾何学形態からなるステルス戦闘機の違いを見れば明らかなように、時代や文化が変われば異なってくるものだ。おそらく、中村が「レプリカ」をシリーズ化しようと思い立った理由のひとつはそこにある。そして「標準型」の前作以降、中村が新たに発見した最大の「改良」ポイントが、暴走族やヤンキーの改造車のヒントを得た装飾だったのではないか。

ところで、今回の取材で初めて改造車マニア向けの専門誌が何種類も出ていることを知った。そのページをめくると、改造車の装飾パターンが車種や地域やオーナーの懐具合によっていくつかに分化し、それぞれグループ内で張り合いながら独自に急進化していることがわかる。これを見て、あのカンブリア紀の奇妙な怪物たちのことを思い出してしまった。5億年以上昔のカンブリア紀は、「進化の実験場」ともいわれるように、奇怪なデザインの海洋生物が爆発的に増えた時代だったからである(ついでにいえば、「「レプリカ カスタム」の形態は、どこと・ネくアノマロカリスやオパビニアに似ていないだろうか)。

だが、カンブリア紀の怪物たちがそうであったように、進化が急激であればあるほど破綻が早まるのも事実である。ジェット機であれ自動車であれ、ましてや生物であればなおのこと、破綻という事態は回避されなければならない。ところが、「レプリカ」シリーズには破綻を避けなければならない理由はなにもない。もともと破綻しているともいえるし、さらにこれから先どこまで破綻を拡大できるかが、このシリーズの見どころであるとさえいえるのだから。

新作では装飾はまだワンポイントにすぎないが、これが全体を覆った姿を想像してみるのは楽しい。いずれ「レプリカ マニエラ」とか、あるいは「レプリカ」自体の改造車「レプリカ レプリカ」なんてのが登場するかもしれない。

村田真 1999

レプリカカスタム