スピードアートファントム

後藤繁雄

どっちへ向かってるんだろ? どこへ向かってるんだろう?

中村哲也は芸大では漆工芸を学んだ。その後、表面にこだわって、中空の昆虫や螺鈿の馬や、金箔の亀をつくり、そして、FRPとウレタンで世界最速っぽく見えるレプリカカスタムをつくり始めた。それらはどれも表面が「それっぽく見える」だけで、内臓器官もエンジンもない。

彼は芸大に入る前は、槍投げの選手だった。「なりふりかまわず遠くに投げようとするのがアートで、美しいポーズで投げようとするのが工芸なんですよ」。彼はその両方を取り入れる。「カッコよく遠くへ投げたいんです」そう言って笑っている。

実際にはまるで走れないのに、世界一速く走りそうに見えるモノをつくること。中はカラッポなのに、世界最強に思えるモノをつくること。そして、いかにアートっぽいものをつくること。「それ」がアートかどうかが問題なのではない。人々がいかにもアートであると思うモノ、アートをアートたらしめているコンセプトやシステムのその「ぽさ」をカタチにしてみせること。中村哲也は、そのことにだれよりも確信犯である。

「世界最速っぽい」というのは、未知の世界へダイブすることとイコールではない。その最速のイメージは、TVやアニメやマンガなどの環境によって、あらかじめ刷り込まれた記憶のアーカイブから探し出される。彼はカタチをスケッチする。そしてもっと速いカタチ、もっと速いカタチを探そうとする。知っていることの極限に触れることの方が、未知をとなえることよりはるかに、世界の表層を剥ぎ、世界のリアルに触れることである。中村哲也はそのことに誰よりも確信犯である。

コム・デ・ギャルソンのTシャツに描かれた「最速のカタチ」、そして「最速レプリカカスタムに乗るミッキー・マウス」。それは自分のアートの、「ファッション」や「キャラクター」への応用などではない。彼は「スピード」についての表現こそが、人々の内にある共通の官能のカタチ、強度を持つカタチであることを知る。そこには、この時代の中の恐怖と快楽がもっとも強く同居する。そして、そのカタチこそが、人々の心をつかめることを知る。逆にコム・デ・ギャルソンも、ディズニーも、中村哲也のカタチこそがそのエクストリームな「力」を持つ・ェ故に、仕事を依頼する。

「ここ」に「ある」ことよりも、「ここ」のスピードを上げ続けること。ピカビアもポロックもアートで「ある」以上にスピードこそを愛した。突き抜けること、振り切ることが重要であり、アートかどうかということは、中村哲也にとって結果でしかない。

中村哲也のレプリカカスタムには、継ぎ目がない。フランケンシュタインのようではなく、ミューテーションで生まれたクリーチャーズのようにつるつるしている。それは、イメージの実験を繰り返して人類がたどりついた恐怖と快楽のベイビー。ファントムとしてのアート。

どちらへ向かってるかって?行き先や方向なんてわかるわけない。そんなことより、もっとスピードを上げろ。

(編集者/クリエイティブ・ディレクター 後藤繁雄 2001)

レプリカカスタム